002 永く使えるモノと永く使いたいモノ

「永く使えるモノ」と「永く使いたいモノ」。この二つの言葉は似て非なるものだ。

「長く使えるモノ」を長く使うとは限らない。正直、まだまだ使えるだろうと思うものをけっこう捨てている。

 フッ素の効きが落ちて目玉焼きがこびりつくようになったフライパン。毛先が少し広がった歯ブラシ。ファスナーが動きにくくなったカバン。ほんの少しお手入れすれば、まだまだ十分に使える。

 捨てる時は「もったいない」と罪悪感めいたものをいだくが「いつか直そうかなー」なんてしまい込んだら最後、部屋のそこかしこで朽ち果てていく。哀れなものだ。

 ある日、ふと気づいた。これらを捨てたいと思う自分がいる事に。新しいモノは気持ちいい。これはもう大量生産・大量消費と言う文明の毒に侵された心の病だ。

 目玉焼きがスケートをするフライパンも、歯がツルってなる歯ブラシも、滑らかにスーッと動くファスナーもヤバいと感じるくらい快適だ。脳の中に快感物質が放出される。ある意味麻薬だ。

 ところが、よくよく考えると、毎日使っているのにこれらのブランドを知らない。買う時だってどうせまたヘタったら買い替えるんだからと、無駄なことに一々心を費やさない。

 みんなきっとそうだろう。スーパーでも何でもポンポンとカゴに商品を放り込む人を見て安心する。自分だけじゃないと自身を納得させる。

 料理人を気取って鉄のフライパンを買ったことがある。豚毛の高級歯ブラシを使ったこともある。総革のカバンも奮発したっけ。あれらはみんな何処に行ってしまったのだろう。

 ちゃんとお手入れすれば永く使えるモノだったはずだ。さんざん悩んで買った時は、本当に楽しかったものだ。お手入れも苦にならない・・・。最初だけ・・・。「永く使いたいモノ」と出会うのはなかなか難しい。

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